メロディ・ラザカ
アーティスト、陶芸家、文化プロデューサー、異文化メディエーター。
こだわり · 日本での歩み、そしてその先へ
フランス・コート・ダジュールで生まれ、(とりま?)いまもそこを拠点にしながら、ヨーロッパと日本のあいだを行ったり来たり、国際的に活動してます。陶芸から執筆へ、文化エンジニアリングからおもてなしへ——私の仕事はぜんぶ、もの・物語・体験が、境界や文化を越えて人と人をつないでいく、その姿を見つめてるんです。
私にとって、陶芸も、ドローイングも、詩も、写真も、料理も、べつべつのものやないんです。どれも、ひとつの強い気持ちから伸びる地下茎(リゾーム)みたいにつながってて——目に見えないものをかたちにして、傷ついたものをそっとなおしたい、っていう気持ちなんです。
こだわり
私の仕事は、三つの「こだわり」に根ざしてます。
私の世界は、彩度が高くて、コントラストが強くて、蛍光みたいにキラキラ光る色でいっぱいなんです。育ったコート・ダジュールの、ギラギラとまぶしい光から受け継いだ色やと思います。色はただのかざりやなくて、私のものの見方そのものをつくってきたんです。
私の陶器は、ただのモノやないんです。神さまが宿った、神聖な儀式の器みたいに思ってます。強い感情も、記憶も、くり返す「脱皮」も——言葉がつまずくところで、土はぜんぶ、ぎゅっととどめておいてくれるんです。
マダガスカルの口承の伝統に育まれて、小さいころから日本の文化に親しんできた私は、どのプロジェクトも、みんなでケアし合う場(おもてなし)であり、次の人へ手わたしていく場やと考えてます。ゆっくり、ていねいに手を動かしながら、集団の喜びの力と、「やわらかな抵抗(ソフト・レボルト)」の哲学としての小さな儀式を信じてます。
日本での歩み、そしてその先へ
日本との物語は、6歳のときに始まりました。ポケモンや「おジャ魔女どれみ」の絵が、どこから来てるんやろう、って探したのがきっかけです。「日本で、自分のホームをつくってみたい」——その子どものころの夢が、私の道をかたちづくってくれました。ニースで日本語を学んで、2011年に神戸へ初めての交換留学。そして2016年、大阪大学で、写真を通して、初めて「これがつくりたい」っていう芸術のイメージをつかんだんです。
2020年から2022年までは、文化戦略へと軸を移しました。京都のアンスティチュ・フランセ日本で、広報を担当しながら、パリ祭やニュイ・ブランシュのような国際規模のイベントを動かして、35を超える主要な機関や高級メゾン、アーティストのあいだに橋をかけてきました。
2023年、もういちど体と素材に向き合いたい——その強い思いから、意匠研(多治見市陶磁器意匠研究所)に入りました。日本の陶芸の高い技術に、全身でどっぷり浸かったこの時間が、ものづくりとの関係をがらっと変えてくれて。いまではアジアとヨーロッパのあいだで、ていねいな制作のプロジェクトや、キュレーションの視点を立てられるようになりました。
いまは、自分の作品づくりと、異文化コンサルティングの仕事のあいだを行き来しながら、文化的な記憶と、生のままの素材との絶え間ない翻訳に、自分の実践の根をおろしています。
その先へ · これから探求したいこと
アート・レジデンシーを探しています · 海外のレジデンシーや、アトリエでのコラボレーションを受け付けています(2026–2027)。
アート・レジデンシーに挑戦して、自分の実践を、大きなスケールの空間インスタレーションへと広げたいと思ってます。詩的なものと政治的なものが、そっと交わっていく場所へ。次の季節は、文化的な記憶と、生のままの素材との絶え間ない翻訳を軸に据えています。
- 生きたアーカイブ: 「もののあはれ」——うつろいゆくものの詩学をめぐるリサーチ。生の土、化粧土(スリップ)の技法、発光するような上絵の具を試しながら、集団の火が消えていくときに残る、感情の澱(おり)をすくいとろうとしてます。
- ソーシャル・アーキテクチャー: 「convivialité(共にいることの歓び)」という儀礼をめぐる、パフォーマティブなキュレーション・プロジェクト。ヨーロッパの家庭の歴史と、日本の伝統的な作り手たちのあいだに、批評的な対話を結んで、ケアのポリティクスを問いなおします。